『炎のストッパー』として多くのカープファンに愛された津田恒実氏。1993年7月20日に32歳の若さでこの世を去った津田氏の33回忌を前に、改めて名投手の足跡を辿っていく。
血行障害などに苦しみ一時は登板機会を大きく減らした津田氏だが、1986年に抑えとして復活を果たすと、見事『カムバック賞』に輝いた。ここでは、不屈の精神で一軍の舞台に返り咲いた赤ヘル戦士のカムバック劇を振り返る。
◆ストッパー転向で完全復活
ルーキーイヤーから11勝を挙げて新人王を獲得するなど、先発として活躍した津田恒実(1984年までは恒美)。ところがプロ2年目の後半からルーズショルダーに併せて中指の血行障害で思うような投球ができず登板機会が減少した。
思うように力が入らない血行障害が致命傷となっていた津田は、世界初となる中指の靭帯摘出手術を決断。失敗すれば選手生命が絶たれる手術だったが、無事成功に終わり復帰後の1986年からはストッパーとしてフル回転の活躍を見せた。
この配置転換は功を奏し、登板時には150キロを超える勢いのある直球が復活。49試合に登板して防御率2.08、22セーブ を記録した。またリーグ優勝に貢献する活躍により、カムバック賞の表彰も受けている。
座右の銘は『弱気は最大の敵』。圧倒的な投手力でV5を達成した1986年、苦境に立たされても決して下を向かない“炎のストッパー”が誕生した。
■カムバック賞
日本プロ野球連盟特別表彰のひとつ。故障や長期の不調から復活した選手に贈られる。1974年の制定以来、カープでは三村敏之(1979年)、津田恒実(1986年)、前田智徳(2002年)、大竹寛(現・巨人二軍投手コーチ、2012年)らが受賞している。