◆「『3つの日本一』実現のために」
— さて、ファンが野村監督の就任を待ち望んでいた裏には、監督ご自身がカープに対して非常に強い愛着をお持ちだったということがあると思います。
「僕はカープのユニフォームしか着ていませんから、カープにこういう野球をしてもらいたい、勝ってもらいたいというのがずっとありました。OBでもあり一ファンでもあるので、解説者時代からそういう心境で見てきました」
— そういう意味ではこうしてチームの指揮を執られるのも、やりがいをかなりお持ちのようですね。
「やりがいがないと引き受けていませんね(笑)。やりがいは強く持っていますし、選手に負けないように自分としても強く接していきます。ときには突き放すことも必要でしょうし、ときには一緒になって喜ぶことも必要です。チームの一員としてスタッフ全員でやっていかなければいけないと思いますが、それは愛着がなければできないことです」
— 監督が現役を引退されるときに『3つの日本一』という言葉を口にされました。日本一のファン、日本一の球場、そして日本一のチーム。ファンはその実現を望んでいます。
「目標はクライマックスシリーズではないということを僕ははっきりと言いましたし、それを笑う人たちもいるでしょう。結果が出ていないですし、カープが優勝するわけないじゃないか、と言う人たちもたくさんいると思います。
だからこそ優勝して、俺たちだってやればできるということを見せてやりたい。そうすればチーム全体が組織として強くなっていくし、3つの日本一も現実的なものになっていきます。戦力や資金力に対していろんなことを言われる方もいますが、それを何とかしてきたのがカープの力です。強かった中で優勝が何回、日本一が何回という歴史はありますが、その時代には選手の努力や、その中で生まれた機動力が存在しています。プロだけではなく、高校野球にしても少年野球にしても、広島の土地柄としてスキのない野球がありますし、それが結集されてカープが勝ってきました。3つの日本一は僕が公約として自分の口で発した言葉。実現するために、最大限努力していきたいと思います」
■野村謙二郎(のむら・けんじろう)
1966年9月19日生、大分県出身
1989年にカープに入団し、俊足巧打のショートとして長く主力として活躍。盗塁王に3度輝き、1995年にはトリプルスリーも達成するなど数々の記録を打ち立てた。2005年に2000安打を達成し、同年引退。2010〜2014年にカープ監督を務め、現在は野球解説者・評論家として活動している。