変則的な過密日程の中で行われるリーグ戦において、浅野雄也がコンスタントに試合出場を続けている。シーズン序盤に左サイドからシャドーにコンバートされると、そこからゴールを量産。サンフレッチェの『積攻』を体現する選手として、今やチームに欠かすことのできない存在となっている。

守備への意識も持ちながら、積極的にゴールを狙い続ける浅野雄也選手。

 そんな浅野もプロ入り前は挫折を味わうなど、全てが順風満帆だったわけではない。兄・拓磨とは違う道程でプロに辿り着いたアタッカーが、プロ入り前から現在までを振り返る。

◆タクでもプロになれるなら俺でもなれるだろうと、そんな気持ちでした(笑)

─そもそもご両親がサッカーがお好きだったのですか?

 「父親もサッカー自体はやっていたんですけど中学校までなんですよ。なので、なぜ長男がサッカーを始めたのか、その理由は分からないです。でも長男が始めると次男がやって三男、そして四男の自分と、自然と地元のクラブチームに入ってサッカーをやるようになりました。そのチームが小学1年生から入れるチームだったので、自分も小学1年のときに入ったんです。当時はサッカーを楽しむという感じでしたけど、わりと早い段階から漠然とですけどプロになりたいと思っていましたね。大げさなことを言うわけではないですけど、口約束レベルで周りに『プロになる』とは言っていました」

─完全にスイッチが入ったのは?

 「その気持ちは小さいときから思い続けていたんですけど、やっぱりタクがプロになったときですね。そのときは『プロになる』ではなく『タクでもなれるなら俺でもなれるだろう』と、そんな気持ちでしたね(笑)」

─話が前後しますが拓磨選手は名門の四日市中央工高(四中工)に進学。浅野選手も同じ道を進もうとは思わなかったですか?

 「いえ、自分は進学に関しては悩まなかったです。むしろタクの方が悩んだんじゃないですかね。僕は四中工という選択肢はなかったです。というのも四中工は私立ではなく公立で、学費免除というか特待生の枠がないので。小さいころから四中工は強いチームだと知っていましたけど、いろいろな人に聞いたところサッカー部だとすごくお金がかかってしまうと聞いたので。それをタクも知っていたので、最初は四中工に行くという選択肢はなかったんです。タクはいろいろな人からの押しがあって進学しましたけど、近くで両親を見ていて『むちゃくちゃ大変なんだろうな』と思って。2人目は無理だと思いましたし、選択肢がなかったというより『行きたい』とは言えなかったですね」

─そんななか拓磨選手は高校時代に選手権で結果を出し続けました。その姿をどのように見ていたのですか?

 「高校の頃からよくタクと比べられるようになって、正直くやしかったですし負けていると思いました。ただ僕は僕の人生かなと。あまりサッカーが有名ではない高校でもできるということを証明したかったし、そういう雑草魂的な道を自分で選んでいたのかもしれないです。もしかしたら四中工に行っていたらプロになっていないかもしれないですし、四日市四郷高に進学したことに対して後悔はまったくないです」