カープは現在、9名のスカウトが逸材を発掘するために全国を奔走している。そのスカウト陣をまとめているのが、苑田聡彦スカウト統括部長だ。苑田スカウトはかつて勝負強い打撃でカープで選手として活躍し、初優勝にも貢献。引退直後の1978年から現在までスカウトとして長年活動を続け、黒田博樹を筆頭に数々の逸材獲得に尽力してきた。

 この連載では、書籍『惚れる力 カープ一筋50年。苑田スカウトの仕事術』(著者・坂上俊次)を再編集し、苑田聡彦氏のスカウトとしての眼力、哲学に迫っていく。

 “数値化されない選手の魅力をいかに見出すか”。今回は、苑田スカウトならではの洞察力を紹介する。

1997年ドラフト4位で入団した小林幹英選手。新人では史上初となる4月の月間MVPを獲得するなど、プロ1年目から輝きを放った。現役引退後は、コーチとして活躍している。

◆ イメージする力を大切に。数値化は絶対ではない

 ドラフト会議が終わったあとも、契約、入団会見、入寮の立ち会いなどスカウトたちに気の休まる時期はない。そして、次のドラフトの指名選手を絞り込むための会議は、1月から始まっている。最初にリストアップされる選手は約260人(2015年)にも上る。  

 「リストから消すことは、いつでもできます。若い選手は短期間で大きく変わることもあります」

 それゆえに、夏前まではリストを急激に絞り込むことはしない。統括部長としてスカウト全体に目を配る苑田の興味は、絞り込みよりもさまざまな選手の名前を聞けることのほうにある。

 赤ヘル黄金時代、代走のスペシャリストとして名を馳せた今井譲二も、中央大4年生春の時点では注目される存在ではなかった。しかし、ドラフト直前に評価を上げ、ドラフト外でカープに入団。プロ通算の打席数はわずかに31であったが、代走としてプロで11年間活躍した。こんな個性派プレーヤーも苑田の眼は見逃さなかったのである。

 ドラフト候補を絞り込むのも大変な作業であるが、スカウトはギリギリまで球場に足を運び、新たなスター候補を見つけようと奮闘するのである。

 「常に各スカウトから報告は受けていますが、知らない選手の名前が出たときは、特に嬉しいですね。これは、今も昔も変わりません。『こいつ、仕事してるなぁ』と思えるのは、良いものですよ」

 資料の整理において、数値化やランク分けほど便利なものはない。しかし、苑田は「Aランク、Bランク、○%」といった表現を好まない。苑田のノートには「チャンスに強いなぁ。性格が弱いなぁ。ここが良いなぁ」といった自身の心の動きが短い言葉で綴られている。投手の平均球速なども重視しない。むしろ、たった1球の輝きを彼は見逃さない。

 「150キロのストレートを1球でも投げられるということが大きいです。1球でも光るものがあれば、追いかけたいです。能力がないと、たとえ1球でも投げられないわけですから。1回できる人は、何回もそれができる可能性を持っています」

 統計や数値を求めるわけではない。苑田の決め手は、『自分の目の前での強烈な印象』である。

 プリンスホテルの好投手・小林幹英(現三軍投手コーチ強化担当)の獲得にあたっても、『印象』を大事にした。

 小林には専修大の頃から注目してきた。社会人野球のプリンスホテルに入社しても、主力投手として都市対抗野球大会に出場していた。しかし、苑田の評価は定まらなかった。 

 「良かったり悪かったり、調子の波がありました。素晴らしい球もありましたが、抜けることもあり、そこが不安でもありました」

 そこで苑田は、ドラフトを直前に控えた1997年秋、「今日、投球を見て良くなかったら指名しないぞ」と決めて白武スカウトとともに球場に出向いた。捕手の真後ろから小林の球筋を見つめた。

 「この日は良かったです。球にバラつきもありましたが、5球続けて低めに強い球がきました。力のある直球でした。これを見て、彼を獲りたいと気持ちが固まりました」

 ドラフト4位でカープに入団した小林は、1年目から54試合に登板。新人王こそ逃したものの、9勝18セーブをマークして、セ・リーグ会長特別表彰を受けるほどの活躍を見せた。苑田の見込んだ球筋は、プロの世界でも、並み居る強打者を封じ込んだのである。

 スピードガン、スコアブック、ストップウオッチ。これらはスカウト活動には欠かせない武器ではあるが、一番見出したいのは『強烈な印象』である。

 苑田がスカウトになって間もない頃、スピードガンはマイルで表示されていた。今となっては笑い話だが、故障することすらあった。

 「(青森県)弘前市の球場で、雨のなか傘を差しながら試合を見ていたら、なんか臭いんです。スピードガンから煙が出ていました。これには驚きました(苦笑)」

 それでも数値を示す道具があるだけ便利である。苑田のスカウト初期、ストップウオッチの使用も一般的ではなかった。今井譲二のスカウティングにも、苑田はストップウオッチを用いていない。

 「どうやって脚力を把握するかって? 見れば分かりますよ。走り方、塁間を何歩で走るか。走る姿。判断材料はいろいろありますよ」

 そもそも、野球での脚力をタイムだけで把握することこそ、限界がある。苑田は、独自の表現でランナーの魅力を語る。

 「山崎隆造や今井は、『サッ、サッ』と走るタイプです。一方で髙橋慶彦は、『地面を噛むような』走り方でした。よほど下半身が強くないと、あんな走りはできません」

 むしろ、そんなプレーヤーの色合いを見抜くのが、『スカウトの眼力』なのかもしれない。

 「今でも、キャッチャーのスローイング以外はストップウオッチを使わないことが多いかもしれません。見るのは、ストップウオッチのタイムではありません。スカウトはグラウンドでの選手の動きを見るのです」

 もちろん、スピードガンで球速を記録し、ビデオに映像を記録することも重要な仕事である。しかし、選手の本当の魅力は数値だけではないこともある。

 苑田は、他のスカウトに、ある言葉をかけることがある。

 「ビデオをある程度撮影したら、グラウンドを見ておけよ」

 デジタルの時代となり、野球の世界も、さまざまな数字で溢れるようになってきた。もちろん、そこには選手の特長が詰まっていることは否定できない。しかし、苑田は数字の向こう側を見据えている。スピードガンで測れない球の質、ストップウオッチで計測できない走り方の特長、さらには、ビデオに映っていないベンチでの表情。サングラスをかけることなく、自分の目で全てのシーンを頭に入れていく。そして、選手のイメージを膨らませていく。

●苑田聡彦 そのだ・としひこ
1945年2月23日生、福岡県出身。三池工高-広島(1964-1977)。三池工高時代には「中西太2世」の異名を持つ九州一の強打者として活躍し、1964年にカープに入団。入団当初は外野手としてプレーしていたが、1969年に内野手へのコンバートを経験。パンチ力ある打撃と堅実な守備を武器に1975年の初優勝にも貢献。1977年に現役引退すると、翌1978年から東京在中のスカウトとして、球団史に名を残す数々の名選手を発掘してきた。現在もスカウト統括部長として、未来の赤ヘル戦士の発掘のため奔走している。