11月30日にカープ残留を表明したカープの選手会長・田中広輔。ここでは本誌に掲載されたインタビューから、田中広輔がカープで歩んできたその足跡や野球観を探っていく。今回は2014年4月号に掲載されたルーキーインタビューをお送りする。

ルーキーイヤーから110試合に出場するなど一軍定着を果たした田中広輔選手。

◆“ミスター社会人”になることもカッコイイと思った

―― まず初めに、田中選手の野球人生をお伺いしたいのですが、野球を始めたきっかけを教えてください。


「父が野球をやっていたので、その影響が一番大きいですね。父も東海大相模高の野球部だったので、小さいころから一緒に東海大相模高の試合を見に行っていたんです。なので、ずっと東海大相模高の野球を見ていたから、あの縦縞のユニホームに憧れていました。いろいろと声をかけてくださった高校もあるんですけど、僕の中では東海大相模高に行くっていう選択肢しかなかったんです」

―― 何歳の頃から野球をはじめたのですか?

「小学6年生の終わりからボーイズリーグに入りました。最初はピッチャーもやっていたんですけど、自分で素質がないなって思ってやめました(笑)。それで、もともとショートが好きだったので、ショートをやりたいなって思ってショートにしました」

―― 高校時代には1年の春からベンチ入りし、2年の春には選抜甲子園大会に出場しました。高校時代に、既にプロ野球のスカウトの目にとまっていたと思うのですが、それでもプロ志望届けを出さなかったのはどうしてでしょうか?

「僕は、中学ときからずっとプロになりたいと思って野球をやっていたのですが、高校の監督と母から「大学だけは出ておいた方がいい」ということを言われたんです。僕と父はプロに行きたいという気持ちが強かったのですが、そういうことを言われてしまったので、悩んだ結果、大学は出ておこうと思って大学進学を決めました」

―― そこで悩んだ結果、東海大へ進学することを決めた決め手というのは、何だったのですか?

「高卒でプロに入っても、万が一ダメになってしまったときに、球団に残れなかったら社会に出ないといけないですよね。そのときのことを考えてですね。社会経験を積むというか、大人になるために4年間大学に行きました」

―― 「プロに行きたい」という気持ちが強くある中で、スカウトからも注目され、その中で大学に進学するという選択は、どこかで納得できない部分あるのかなと思うのですが?

「ありました、ありました(笑)。納得できない部分とか、受け入れられない部分とかありました。それまで高校卒業して、プロ野球選手になるっていうのを自分の中で思い描いていて、その通りに進んでいたので自分の中で納得できませんでしたね。言い方が凄く悪いんですけど、今までプロに入りたいっていう思いで本気でやってきていたのに「大学に来ちゃったよ」みたいな。そんな感じでした」

―― 東海大も多くのプロ野球選手を輩出していますし、大学に行ったあとでも十分にプロの世界に入れる可能性はあると思います。それでも気持ちはなかなか上向いてこなかったのですか?

「試合に出るようになってからは、ここでもう一度活躍して絶対プロに行くっていう気持ちでやっていました。でもその気持ちが強すぎてしまって、大学4年間は思うようにいかなかったんです」

―― どういった部分が思うようにいかなかったのですか?

「なんだかもう、結果ばかりを気にしてしまっていました。チーム自体が強かったので、僕が打っても、打たなくても勝てるようなチームだったんです。だからこそ、その中でやっぱり打ちたいじゃないですか。それで自分の結果ばっかり追い求めるようになって、全然ダメでしたね。成績が良かったのも、大学3年の秋と4年の秋だけですもん」

―― もちろんプロに行くためには4年間の結果も見られると思うのですが、特に大事なのは大学4年の春からだと思うんです。

「そうです、そうです。そのときは全然ダメで、最悪でした」

―― 大事な時期に結果がでなかったことに、ご自身の気持ちとしてはどうだったんですか?

「実は、大学の監督と約束をしていたんです。4年の春の段階で、すでに社会人のチームから声がかかっていたので、4年の春に結果が出なかったら社会人のチームに進むっていう約束だったんです。それで進んだのがJR東日本硬式野球部でした」

―― 進路を決めたあと、大学4年の秋には自己最高の打率.375を残して首位打者を獲得しました。

「いやーもったいないなって感じはしましたね(笑)。でもJR東日本は大きな会社だし、いいチームだったので、いいかなと思いました。結構、現実を見るタイプなんです、僕(笑)」

―― 打撃不振だった大学4年の春から秋にかけて、成績が大きく変わったと思うのですが、自分の中でどんな変化があったのですか?

「4年の春の約束があったので、秋は割り切りが出来ました。それに、大学4年の春に負けたんですよね。菅野(智之・巨人)も居たのに13年ぶりに大学選手権大会に出られなくて。そこで負けたのが一番大きかったですね。とりあえず勝ちたかったっていうのがあったんです。だから自分が打てなくてもチームが勝てればいいやって思うようになってから結果が出るようになりました」

―― JR東日本野球部に入社後は1年目からスタメンで出場し、若獅子賞を受賞するなど「社会人野手No.1」として呼び名も高かったと思います。その中で、再び注目を集めはじめたのではないでしょうか?

「そうですね。しっかりやればプロに行けるチャンスはあるかもと思いながらやっていました。1年目に都市対抗で5試合連続無失策をやって、そこで守備に関しては自信を持てるようになったし、2年目の都市対抗が終わったあとに、悪いなりに結果がしっかりでたので手応えはありましたね。でもその反面で、ずっとJR東日本で野球をやるのも良いかなっていうのもありました。そのときは100%プロに行きたいと思う気持ちではなかったんです」

―― それはどうしてなのでしょうか?

「社会人野球を1年経験して、JR東日本という会社の素晴らしさとか、良さが分かったので、そのまま社会人に骨を埋めても良いかなと思っていました。野球の質もそうですし、レベルも高いので、社会人野球そのものが楽しかったんです」

―― どの辺りに特に楽しさを感じたのでしょうか?

「僕も含めてですけど、大の大人が必死になってるんですよね。都市対抗野球とか日本選手権に出るには予選があるんですけど、予選を勝ち抜いたときに35、6歳とかの人たちが泣くんですよ。なんて言ったらいいのかな…とにかく熱いんですよね、社会人野球って。そういうのがいいなって思いました。“ミスター社会人”もかっこいいので、そうなるのもいいなって思っていましたね」 ◆自分がやるべきことをやればチャンスは巡ってくる

―― キャンプからここまで、コンスタントに結果を残し続け、周囲からの期待値というのが高いように感じるのですが?

「いや〜それが全然感じていないんです(笑)。普通だったら、手応えもあるし結果は出ているので、ある程度そう感じる部分っていうのはあると思うんですけど、なんかそういう感じもないですし、僕自身どこでどう使ってもらえるのかまったくわからないので(笑)」

―― どこでどう使われるかという部分に関してですが、練習試合、オープン戦と本職のショート以外にもセカンド、サードとこなしユーティリティー性をアピールされていますね。

「試合に出られればどこでもいいんで、強みになるというのはあります。ただ、やっぱりショートにこだわっていきたいというのはありますね」

―― 打撃面でもオープン戦規定打席(チーム試合数×3.1/3月13日現在)に達してはいないものの、打率5割と好調ですね。キャンプ初日に新井打撃コーチからフォームの指摘を受けていましたが、それがうまくはまってきているのでしょうか?

「そうですね、外の球の感覚も良くなってきていますし順調にきていると思います」

―― どんな意図があって打撃フォームを変更することになったのでしょうか?

「新井コーチからは、インコースの球をさばきやすくするように、スクエアにした方が良いって言われて、それからその形で練習していました。元々、インコースが苦手だったというわけではなかったんですけど、調子が悪いときは特に見逃すことが多かったんです。そこを新井さんに指摘されて変えてみようと。今までクロスになっていたので、スクエアに変えたあとは、なんだかすごく開いているような感じがして、日南キャンプのときは違和感ありました。でも沖縄キャンプでの阪神戦で、アウトコースの変化球が打ててヒットが出たので「ああ、こういう感じだったらいいのかな」っていう手応えを掴みましたね。ときどき、アウトコースが遠いように感じるときがあるんですけど、それはボールの見方だったりもあるので、今は問題なく打てています」

―― これまで紅白戦や対外試合などを行ってきて感じた課題などはありますか?

「守備だったら、やっぱりプロは打球が速い打者が多いので、それに遅れないようにすることを心がけています。打席だと、プロの投手はコントロールがいいので失投や甘い球が少ないんですよね。そこをいかに1球で仕留められるかや、走り打ちしないで、とにかくしっかり振ろうと心がけています」

―― 野村監督は「試合勘のある選手」と評価していました。

「そうですね。自分でも「試合勘」というのは今までも、大事にやってきている部分でした」

―― その「試合勘」が確立されたのはいつ頃なのでしょうか?

「中学のボーイズリーグの、監督が野球を良く知っている方だったんです。それでいろんな難しいサインプレーをしたり、細かなプレーをしたりっていうのが基礎になっているのかなと思います。そのまま東海大相模高に入って、付属相模高も厳しかったので、技術とか野球観が鍛え上げられたのかなと。常にレベルの高い環境だったのでそれが一番の要因だと思います」

―― 内野には、梵選手、菊池選手、堂林選手と熾烈なレギュラー争いが繰り広げられています。この中を勝ち抜いていくために何が一番重要だと思いますか?

「自分がやるべきことをずっと続けられるかだと思うんです。変に意識して打った、打たない、エラーした、エラーしていないで一喜一憂するんじゃなく、常に1年通してコンスタントに結果を出せれば、どこかでチャンスは巡ってくるのかなと思っています。虎視眈々と狙っていきますよ」