◆ユーティリティープレーヤーに継承

 プロ1年目の尾形は『00』をつけてユーティリティープレーヤーとして活躍。2005年、シーツの阪神移籍を受けて背番号『4』になると同時に開幕スタメンを勝ち取った。

 当初は打率3割超えの活躍を見せていたが、日大時代の古傷である右膝前十字靭帯を再び断裂。足への負担が少ない外野に一時、転向するも靭帯断裂前の状態を取り戻すことができず、2009年に現役を引退した。引退後はカープの関東地区担当のスカウトに就任し、鈴木誠也、田中広輔、森下暢仁らの獲得に寄与している。

 尾形の後を受け、昨季まで『4』を背負っていたのが小窪哲也だ。PL学園高、青山大などで主将を務め、2007年の大学生・社会人ドラフトでカープから3巡目指名を受け入団。2008年から2年間は背番号『12』をつけ、尾形の引退とともに『4』を継承した。

 心機一転といきたいところだったが、梵英心、石井琢朗、菊池涼介、堂林翔太ら内野は激戦区だったこともあり、ポジション奪取までには至らず。だが2015年には代打の切り札として大活躍を見せている。2016年からは梵から選手会長を引き継ぎ、リーグ連覇に貢献。だが次第に出場数は目減りし、2020年には球団側が指導者転向を打診。小窪自身が現役続行を望んだため自由契約となった。現在はトレーニングを続けながら、他球団からのオファーを待ち続けている。

 多彩な選手が並んだ背番号『4』の歴史は、現在約70年ぶりに空白期間を迎えている。はたして新たな歴史を刻むのは誰なのか。持ち主の登場が待たれるところだ。

【背番号『4』を背負った主なカープ選手】
小坂佳隆(内野手/1958年-1965年)
水谷実雄(外野手/1971年-1982年)
アイルランド(内野手/1983年-1984年)
正田耕三(内野手/1985年-1998年)
シーツ(内野手/2003年-2004年)
尾形佳紀(内野手/2005年-2009年)
小窪哲也(内野手/2010年-2020年)