冒頭で内藤選手が気になる選手として挙げた宇草孔基(うぐさこうき)選手。楽天戦では田中将大投手からプロ初本塁打を放った。(写真は2020年3月24日撮影)

◆Jリーガーを目指していました

 当時からもちろんプロレスも好きでしたけど、中学1年のときは野球の方が好きでした。プロレスのテレビ中継は週1でしたけど、野球中継は毎日のようにあったっていうのも大きいでしょうね。当時、カープでは江藤智さんのファンでした。江藤さんなら溜まったランナーを返してくれるんじゃないかっていう期待感があったし、確か1995年はホームランと打点の2冠王でしたよね。

 プロレスでは武藤敬司選手のファンで、華やかなところに惹かれました。江藤さんもホームランバッターでしたし、共通していたのは派手なところと、あとはやっぱり“赤色”ですか。カープのユニホームはもちろん赤、そして武藤選手も当時は赤色のショートタイツでしたから。まあ、一般的に当時の武藤選手はオレンジ色のイメージが強いとは思いますけど……(苦笑)。

 中学1年のときに、野球選手とプロレスラーのどちらになりたかったかといえば、どちらも目指してなかったですね(笑)。そもそもプロレスラーはどうやってなったら良いのか分からなかったし、プロ野球選手は野球をしている延長にあるのはわかっていたけど、それよりも当時は部活でやっていたサッカー選手の方が自分のなかでは現実的でしたね。

 Jリーグが開幕したばかりというのもあったし、プロ野球選手かJリーガーかって言われたら、当時はJリーガーを目指していました。見ていて好きだったのは野球で、やるのはサッカーの方が好きという感じですね。それにしてもプロレス、野球、サッカーと、やたらと気の多い中学生でしたね(笑)。

 でも、中学3年のときに、一気にプロレスにのめり込みました。きっかけは仲間内でのプロレスごっこに、より熱中しだしたことですかね。

 マットを敷いて、跳び箱をコーナー代わりにして雪崩式の技とかもやり始めて、あと当時はnWoっていう蝶野正洋さんがやっていたユニットが大人気だったんですよ。クラス中がプロレス中継を見ていたし、花火大会とかに行ってもnWoTシャツを着ている人がいっぱいいましたからね。