今季カープは新たに佐々岡真司新監督が就任し、V奪還を目指すシーズンに臨む。そこで新監督就任に際して、過去の『広島アスリートマガジン』特集から歴代監督の思考を振り返っていく。今回は2018年4月号で特集した『OBが語るカープ歴代監督』より、マーティー・ブラウン監督編をお送りする。

 2006年、最下位に沈んだチームの再建を託されたのは、かつてカープでプレーした“助っ人外国人”であるマーティー・ブラウンだった。当時のチーム事情もあり成績は振るわなかったものの、後に楽天の一軍監督にも就任するなど独自の理論はチーム内外から高評価を受けた。ブラウン監督の下でセットアッパーとして復活を遂げた横山竜士氏(現広島一軍投手コーチ)が当時を振り返る。

横山竜士(よこやまりゅうじ)/1976年6月11日生、福井県出身。94年ドラフト5位で広島に入団。主に中継ぎとして投げ続け、13年には通算500試合登板を達成し、初のCS進出に貢献。14年限りで現役を引退。19年10月に広島の一軍投手コーチに就任した。

 マーティーが監督に就任するにあたり、当時ほとんどの選手が外国人監督の経験がなかっただけに『どうやってコミュニケーションを取ればいいのだろう』という雰囲気がありました。当時、僕は山本浩二監督の元で故障続きだったこともあり、プロ野球選手としてこの先もう一踏ん張りしなければならない、という時期でした。

 そんな中で迎えたキャンプではマーティーからの指示はほとんどありませんでした。投手陣の練習は投げ込みも走り込みもなく、それまでとは練習方法が一気に変わりました。ですが、それまではブルペンで投げ込みを行って調整することがメインで、肩痛を抱えていた僕にとってはリスクが高いものでした。

 それだけに、個々の課題を持って調整するというマーティーの方針は僕に合っていました。そして過去の成績、投球スタイルについても、特に指摘されることはなく、横一線で選手たちを見ていたと思います。