◆左のスペシャリストが継承

 入団5年目の1988年に『48』から『19』になったのが清川栄治だ。左の中継ぎ投手として抜群の制球力と変則フォームで活躍し、1986年には中継ぎとしてチーム最多の50試合に登板、リーグ優勝に貢献した。『19』を背負った1988年には、106試合目で初勝利を記録している。

 津田恒実や川端順らと共に強力ブルペン陣を形成し、その中でも“左のスペシャリスト”として存在感を示した。1991年シーズン途中で近鉄に移籍し、1998年にカープに復帰して現役に終止符。15シーズンで438試合、全てリリーフとしての登板だった。

 438試合連続救援登板は当時の日本記録であり、歴史に残る中継ぎ投手として今もなおファンの間で語り草となっている。引退後は長らく投手コーチとして後進の指導にあたった。

 冒頭、ドラフト1位が2人と書いたが、その第1号が1996年入団の長谷川昌幸だ。高卒入団ながら2年目にはプロ初登板、初先発、初勝利を飾る。

 2001年には9勝をマーク、2002年もチームトップの13勝を挙げるなど、黒田博樹に次ぐ存在として頭角を表したが、以降は故障などで不調に陥った。2004年限りで『42』に変更されてからについては、『42』の項で紹介している。