堂林翔太が開幕から好調をキープしている。ペナントレースの1/6を消化した時点で、規定打席到達者では両リーグ通じて唯一の打率4割をマーク。打席内でも、これまでとは一味違う雰囲気を醸し出すようになっている。

 プロ11年目にして真価を見せ始めている堂林は、どのような歩みを経て現在のプレースタイルを築き上げてきたのか? ここではルーキーイヤーの言葉をもとに、背番号7の原点に迫っていく。
(『広島アスリートマガジン』2010年9月号掲載)

一心不乱にバットを振り込む、プロ1年目・2010年当時の堂林翔太選手。

― 1年前の8月24日は、高校球児として夏の全国高校野球甲子園大会の決勝戦の舞台にいました。歴史に残る決勝戦だったと思いますが、振り返ってみていかがですか?
「まだ、つい最近のように思えますね。ただ見ている方は面白かったと思うんですけど、やっている方は『ああいう試合はもういい』という気持ちでした(苦笑)」

― 苦しんだ末に掴んだものだったからか、優勝が決まった後の涙を流している姿が印象的でした。
「甲子園って、ゲームセットと言われるまで、最後の最後まで何が起こるか分からないところだと感じました。普通に優勝していたら喜んでお立ち台に立っていたと思うんですけど、あのときは勝ったうれしさと自分の情けなさとがあったので、あの涙になったと思います。プロに入ってからも、地元に残っているチームメイトとは名古屋に遠征で行ったときには必ず食事に行っています」

― 甲子園優勝からプロ入りし、投手から野手に転向するなど濃密な1年を過ごしています。プロとして第一歩を踏み出したときはどのような気持ちでしたか?
「1年目は全然通用しないと思っていたのですが、初めて打席に立ったときは、正直『こんなもんか』と思ったんです。だから何度か打席に立てば慣れてくるだろうなと」