2005年に導入され、今年で20回目の開催となる『セ・パ交流戦』。カープにとって鬼門と言われることの多かった交流戦だが、通算成績を振り返ると、山あり谷ありの戦いを繰り返してきたことがわかる。ここでは、交流戦創成期の2005年〜2007年までの記録を振り返る。果たして、カープ交流戦の歴史の幕開けはどのようなものだったのだろうか?
◆2005年・交流戦11位(36試合11勝24敗1分)
カープにとっては何度も苦汁を味わう、『鬼門』とも言える交流戦がスタートした2005年。初戦(西武戦)は、先発・デイビーの3被弾など13失点の大敗で幕開けとなった。それでもなんとか5月下旬まで喰らいついていたが、6月に入ると投打の歯車が全くかみ合わず、1日のロッテ戦から5連敗、11日の楽天戦から6連敗。パ・リーグの野球に圧倒され、上位チームと大きく差をつけられていった。終わってみれば、カープは11勝24敗1分で11位(セ・リーグでは最下位)。ペナントリーグも12年ぶりの最下位で終了した。
◆2006年・交流戦9位(36試合16勝20敗)
ブラウン体制1年目の交流戦も、カープは厳しい戦いを強いられた。初戦のソフトバンク戦で12三振を喫して零封負けすると、直後のロッテ戦で抑えのベイルが左足を故障し戦線離脱。この年に加入したダグラスが交流戦のみで5勝、再び守護神を託された永川勝浩の台頭など好材料も多かったが、全体を通じて見れば投打の歯車が噛み合わなかった感は否めない。6月15日の敗戦で、2年連続での負け越しが決定。前年と比べ勝率は向上したものの、苦手意識を払しょくするまでには至らなかった。
◆2007年・交流戦12位(24試合5勝18敗1分)
クライマックス・シリーズの導入に伴い交流戦の試合数が削減されたこの年、カープは交流戦開幕直前に、2005年5月10日以来となる3位に浮上。チーム状態が上がっていたこともあり、パ・リーグとの戦いにも期待が集まった。ところが、いざ開幕すると黒田以外の投手陣が軒並み苦戦。6月20日の日本ハム戦で6連敗を喫すると、最終戦を待たずして交流戦の最下位が決定。チーム防御率(4.73)、勝率(.217)ともに12球団ワーストとないう、悔しい結果に終わってしまった。