移籍2年目の長野久義が、8月に入り連続マルチ安打を重ねるなど真価を発揮し始めている。昨季はプロ入りして初めて出場試合数が100を切り、本塁打も二桁に届かなかった。丸佳浩の人的補償として電撃移籍を果たし、ファンからも大きな期待を寄せられたが、自他共に不本意なシーズンを過ごすこととなった。

 そんななか今季は要所で結果を残し、8月に入ると3番レフトとして存在感を発揮。チーム屈指の実績を持つ実力者が、いよいよその本領を見せている。過去にもカープでチャンスをつかみ、再起を果たした選手は存在する。ここでは過去10年間にトレードやFAに伴う人的補償でカープに移籍した選手をクローズアップ。改めて当時の状況を振り返る。

夏場に入り状態を上げている長野久義選手。昨季前半は不調に陥ったが、やはり勝負強さは健在だ。

◆迎祐一郎 オリックスから移籍
<2010年5月15日、喜田剛・長谷川昌幸と迎・金銭でのトレード>

 オリックス時代はウエスタン・リーグで三冠王に輝くなど、打率を兼ね備えた長距離砲として期待を集めた。非凡な打撃力を買われ、2010年にはトレードによりカープに移籍。直後に一軍の舞台で本塁打を放ち、改めてパンチ力があるところを見せつけた。2012年には自己最多となる55試合に出場。しかし、以降は思うような成績を残せず、2014年限りで現役を引退した。2015年からは一軍打撃コーチ補佐として経験を積み、翌年には一軍打撃コーチに就任。石井琢朗、東出輝裕と共に一軍打撃コーチ3人体制を築き、25年ぶりのリーグ優勝を引き寄せる超強力打線をつくりあげた。

◆菊地原毅 オリックスから移籍
<2010年11月8日、小島心二郎との交換トレード>

 元々は1992年のドラフト会議でカープから2位指名を受け入団。しばらくは二軍でのプレーが続いたが、2001年は当時の日本記録にならぶ78試合に登板した。その後、トレードでオリックスに移籍したものの、2010年オフには小島心二郎との交換トレードで再び古巣・カープに復帰。しかし、左アキレス腱断裂などの負傷も影響し、かつての輝きを取り戻すまでには至らなかった。2013年限りで現役を退くと、そのまま三軍投手コーチに就任。近年では床田寛樹のリハビリに寄り添い復活を後押しした。2019年からは二軍投手コーチで後進の指導に当たっている。