青山学院大からドラフト1位でカープに入団した期待の長距離砲・佐々木泰。何度も試練にぶつかりながらも、目標であるプロ野球選手としてのスタートラインに立った。早い段階での活躍が期待される背番号10の野球人生と意気込みを聞いた。(全3回/第1回)

5月20日(ヤクルト戦)で一軍デビューを果たした佐々木泰

野球人生の分岐点は、県岐阜商高への進学

ー佐々木選手が野球を始めたきっかけから教えてください。

「小学1年に上がる頃、4つ上の兄が野球をしていて自分も気づいたら一緒にボールを投げていて、それがきっかけですね」

ーどんな少年時代でしたか?

「本当に負けず嫌いでしたね。年上の人たちとはいえ、負けたくないという気持ちで、できないながらにも一生懸命やっていました。それは野球に限らず、鬼ごっこやドッジボールとかでも、『絶対一番になりたい』と言っていたと母に言われました(笑)」

ーお誕生日はクリスマスイブなんですね。

「はい、なのでクリスマスと誕生日のプレゼントは1つでした(笑)」

ー中学では岐阜ボーイズでプレーし、県岐阜商高に進学されました。

「元々は地元にある、特に強豪校ではない高校に行こうと思っていました。中学3年の最初までは主に投手だったのですが、中学最後の大会で、打撃面で結果が出ていたこともあり、野手で出場をしたんです。その試合を見た県岐阜商高の当時の監督がスカウトしてくださり進学を決めました。この決断が人生の分岐点でした」

ー具体的に分岐点と感じた部分は?

「実は、自分が入学する年の3月に、熊本の強豪校である秀岳館高で監督をされていた鍛冶舎(巧)監督が県岐阜商高の野球部監督に就任されました。高校進学を決めたタイミングでは鍛冶舎監督が来るということは知らなかったのですが、自分は中学の頃から秀岳館高を甲子園でも応援していて、県岐阜商高に来られるという噂を聞いて、よりモチベーションが上がった記憶があります。まさかこれからめちゃくちゃ厳しい練習があるということは想像もせず……(苦笑)。ただ、この高校時代で成長したことは間違いないですし、本当にご縁に感謝しています」

ー1年時から4番を務めるなど活躍し、3年時には甲子園出場が決まっていたにもかかわらず、コロナの影響で中止となりました。当時の心境はどうでしたか?

「当時は『何かしら大会はできるんじゃないか』ぐらいに考えていたのですが、まさか選抜もなくなり、夏の大会もなくなり……という状況で落ち込む部分はありました。というのも、自分がプロ野球選手になることを目標にしていたので、“プロに行く道が少し遠くなった”という思いが正直ありました。東海大会での実力しか分からず、甲子園に出て自分の実力を試したいと思っていましたし、選抜に向けてすごく状態も良くなっていて、レベルアップしている実感がありました。選抜大会でホームランをたくさん打って、活躍してプロのスカウトに見てほしいという気持ちでいたので、その部分での不安がありました」

ー高卒でのプロ入りを目指されていたんですね。

「高卒で行きたいという気持ちは強かったです。監督にもそういう話をしていたのですが、大会がなくなってしまい、自分の実力も試せないままで、不安なところも正直まだあるからということで、それならレベルの高い大学に行って、そこからいろいろ経験してプロを目指すのも良いのではという思いで、大学進学を決めました」

ー2020年8月11日に行われた甲子園高校野球交流試合ではホームランを放ちましたが、どんな思いでしたか?

「『甲子園でホームランを打つ』ということをずっと目標にしていました。大会がなくなってしまった悔しさをぶつけるという思いと、最後の打席で悔いだけは残したくないという気持ちで打席に立って、ホームランを打つことができました」

ーカープの髙木翔斗選手は県岐阜商高時代の1学年下で、高校時代はともにプレーされていました。

「本当に不思議な感覚といいますか、カープに決まった時も髙木の顔が思い浮かびました。高校時代はストレッチを組んでいた仲なので、4年の時を経て再び一緒にできるというのは本当にうれしいです」

(中編へ続く)