広島東洋カープにまつわるモノ・コト・場所をクローズアップして取り上げる『カープ再発見』企画。開幕を心待ちにするカープファンに、開幕がもっと待ち遠しくなる(!?)アレコレをお届けする。
今回は、カープの本拠地球場として長く愛された旧広島市民球場がテーマ。球団誕生の7年後、広島市の中心部に完成した球場は、数々の名勝負の舞台となった。カープとともに歩んだ旧広島市民球場、その軌跡を振り返ってみよう。(『広島アスリートマガジン2003年9月号』掲載記事を再編集)
◆「広島にもナイターのできる球場を」
世界文化遺産の原爆ドームや平和公園も素晴らしいが、向かい合わせに立っていた旧広島市民球場も、カープと広島県の野球の歴史を築いてきたファンにとっては重要な聖地だ。広島市の中心部にあり、試合後は繁華街にも歩いて行ける。しかしどうしてこんな『広島らしい場所』に、球場ができたのだろうか?
「ここからそごう、県庁までの一帯は、戦前は日本軍の『西練兵場』でした。射撃などの軍事訓練を、ここで県内外から集まった新兵達に行っていたということです」と語ったのは、球場管理事務所の担当者だ。もちろん西練兵場は原爆で消失。終戦後は『児童文化会館前広場』として、市民のために利用されていた。しかし市や県、また地元財界としては、もっと有効に利用できる方法を懸命に考えていたところだった。
そんな中、1950年、カープが誕生する。
当時の公式戦は広島総合球場(現在のBalcom BMW 広島総合グランド)で行っていたが、この球場には照明灯がなく、平日でも、真夏の公式戦でも全てデーゲーム。他球場では続々と照明灯が完成し、「プロ野球はナイターで」という慣習が出来つつあった。
そこで「広島にもナイター球場を」ということで、前述の旧西練兵場跡に県営球場よりもっと観客席の大きい球場の建設に踏み切った。建設費は財団からの寄付により捻出できた。これがのちの『広島市民球場』であった。
市民球場のこけら落としは1957年7月24日の阪神戦。ナイター開きも同時に行った。カープはこのゲームに1ー15で大敗したわけだが、それから22年後の1979年10月6日、2度目の優勝を決め地元初の胴上げを達成した。その日の相手も阪神で、見事にリベンジを果たしたのである。
旧広島市民球場の最大収容人数は3万2千人だが、オープン当時は1万8千人だった。1977年に外野スタンドを増築し、ブルペンがライトスタンド・レフトスタンド下に移動。さらに1986〜1987年には、内野指定席に2階席が増設された。
スコアボードが手動式から電光ボード&オーロラビジョンになったのが1993年。そこから2009年にマツダ スタジアムが開業するまで、52年間の長きにわたりカープの本拠地として多くのプロ野球ファンに愛された。なお、旧広島市民球場最後の試合は2008年9月28日のヤクルト戦。先発登板した前田健太のシーズン1号本塁打が飛び出すなど、6−3でカープが勝利を収め、旧広島市民球場の有終の美を飾ったのだった。
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