各球団スカウトの情報収集の集大成であり、球団の方針による独自性も垣間見られるドラフト会議。カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の眼力で多くの逸材を発掘してきた。

 ここでは、かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を語っていた、広島アスリートマガジンの2003年創刊当時の連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載する。

 今回は走攻守三拍子そろった外野手として90年代〜00年代に活躍し、カープ監督として球団初のリーグ3連覇を成し遂げた緒方孝市氏を取り上げる。

選手、コーチ、監督と33年にわたりカープのユニホームに袖を通し続けた緒方孝市氏。

◆担当スカウトの執念から生まれた入団合意

 緒方は入団時、外野手ではなく内野手(セカンド)でした。中学時代からセカンドしか守った事がないそうで、チームにはショートができる選手が既にいたので、セカンドに固定されていたそうです。身長が181センチあり、走攻守三拍子揃った大型内野手として、高校1年時から九州地区担当の村上(孝雄スカウト)が注目していました。

 村上は学校側にも、本人側にも熱心に接触しました。しかし緒方自身はその度に「プロでやっていく自信はまだありません。自分としては大学進学を第一に考えています」と言うのです。鳥栖高が甲子園に出場できなかったこともあって、緒方の全国での知名度は高くありませんでした。

 そして緒方が青山学院大への進学でほぼ固まったという事を受けて、それまで緒方に注目していた他球団のスカウトも、彼の指名を諦めていきます。しかし村上は最後まで諦めていませんでした。高校時代の戦歴よりも素材を重視して、若い選手を一人前のプロに鍛えていくカープの育成方針を、学校側にも本人側にもそれまで以上に熱く訴えていきました。

 そして1986年11月20日のドラフト会議でカープは緒方を単独指名しました。指名順位こそ3位ですが、評価はそれ以上に考えていました。そして村上の熱い入団要請に、緒方側もついに入団合意。村上の努力が見事に実を結んで、獲得する事ができました。

 ただ緒方の入学が内定していた青学大側には、怒られましたね。この一件から青学大の担当スカウトが出入り禁止になってしまいました。青学大といえば1997年に新人王に輝いた澤﨑俊和を逆指名で獲得しましたが、緒方の一件から約10年後のことになります。

 私は指名後入団交渉の席で初めて緒方本人と会ったのですが、頭の良い子だなという印象でした。表面上はおとなしいのですが、内に秘めた野球への熱意はかなり強いものを感じさせ、「将来チームのリーダーになれる資質を持っている」と直感しましたね。

 スカウトは、守備と走塁を評価していたものの打撃に関しては「パワーはないが、シュアな打撃をする中距離打者タイプ」との見方をしていただけに、ホームランも打てる打者になったのは本人の努力の賜物だと思いますね。

【備前喜夫】
1933年10月9日生-2015年9月7日没。広島県出身。旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987~2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。