お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の本連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していきます。今回は、1989年から3シーズンにわたって活躍した長距離砲・アレン選手について語っていただきます。

◆日本シリーズで2本塁打を放ち有終の美

 「アレン」と聞いて九里亜蓮ではなく、まずロッド・アレンを思い出す人は、だいぶ年季の入ったカープファンと言っていいでしょう。

 いかにも打ちそうな風貌。しかしチャンスで打てないこともしばしば。かと思えばとてつもないホームランを連発。何と言うか、アレンは規格外の助っ人でした。

 アレンがカープに来たのは1989年。山本浩二さんが監督になって初めての助っ人でした。同期にロードンもおり、この二人への期待は相当なもの。オープン戦で結果を出したロードンと共に、5番でのレギュラースタートとなったアレン。打率は3割を記録したものの、ホームラン11本、39打点と期待されていたほどの活躍を残すことはできませんでした。

 ところがです。2年目のアレンは開幕直後から4打席連続ホームランを打つなどの活躍で、終わってみれば打率.323の好成績。しかし次の年は大不振。からの、日本シリーズでホームランを2本放つ大活躍。波の激しさ、FX相場の如し。我々ファンを不思議な気持ちにさせつつも、有終の美を飾り祖国へと帰っていきました。

 アレンといえば4打席連続ホームランもありますが、やはりその気性の荒さが印象に残っています。代名詞と言うべき「大門事件」はカープ史上において達川さんのコンタクト探しに継ぐ、名シーンと言っていいでしょう。