2001年ドラフト4巡目でカープに入団し、捕手として活躍した石原慶幸氏。25年ぶりの優勝、球団初のリーグ3連覇。記憶に新しい節目の瞬間には、正捕手・石原慶幸の姿があった。カープ一筋19年のプロ野球人生。悔しさも歓喜も知り尽くした名捕手の野球人生を、石原氏の言葉で振り返っていく。

プロ2年目から飛躍的に試合出場数を伸ばした石原慶幸氏。

◆プロ1年目はとにかくしんどかった

 2002年はキャンプこそ一軍に帯同できたものの、地元・岐阜でのオープン戦直後に二軍降格となり、シーズン中もそのまま二軍暮らしが続きました。しかし、シーズン終盤に5試合ほど一軍の試合に出場し、初出場のヤクルト戦でプロ初安打を打つことができました。打席に立つだけで精一杯だったので、感慨深いなどの感情は全くありませんでした。

 初安打以上に覚えているのはその日の試合後のことです。新井貴浩さんから「今日なんかあるのか」と試合後の予定を聞かれ、僕は寮生だったので「何もないです」と答えると、「金本(知憲)さんが一緒に食事でもどうと言ってるぞ」とお誘いしていただきました。

 キャンプ中にも食事に連れて行ってもらっていたのですが、このときは金本さんと二人きり。緊張しかなくて「食べろよ」「はい、食べます」。「おかわりしないのか」「します」という感じで……味もよく分からなかったというのが本音です(笑)。

 そんなプロ1年目でしたが、印象としては『とにかくしんどかった』というものです。大学時代は土、日、月の3日間だけだった試合や練習が、当然プロは毎日です。練習も慣れるのに必死で、自分で考えてやる余裕などありません。

 シーズンが終わってもすぐに秋季キャンプが始まり、昼だけではなく夜間練習でも相当バットを振り込みました。早出から練習が始まり、全体練習から戻ってくるのが17時半〜18時頃。そして夜間練習が19時から。シャワーだけを浴び、食事をする時間もままならず……。今になって思えば、よくケガをすることなく、やれていたなと思います(苦笑)。