◆孤高の天才・前田智徳

 山崎の後を継いだのが、「31」から変更した前田智徳だ。「1」以前の前田についてはこちら「31」「51」を参照されたい。ここでも述べているように

 1992、1993年の2年間で飛躍した前田は、球団から背番号「1」への変更を打診されるも、一度は固辞したのだという。再度の説得で応じ、「1」を着けた前田は、ここから球団の「顔」と言っていい存在となっていく。

 初年の1994年は前2年に続いてベストナインとゴールデングラブ賞を受賞(後者は4年連続)。1995年にはアキレス腱断裂の負傷を乗り越え、2000年には同じ個所の手術に踏み切った。その後、2002年には打率3割に復帰し、カムバック賞を受賞。寡黙な人柄で、まさに「背中で見せる」姿は多くの選手たちの指針となった。2013年限りで現役を引退した後、背番号「1」は準永久欠番とされたことからも、その存在の大きさが分かるというものだ。

 「前田が認めた選手に与えられる」とされた背番号「1」は、前田の引退後、5年間にわたって使用者がいない状態だった。

◆カープの絶対的な存在となった鈴木誠也

 その沈黙を破ったのが、鈴木誠也だ。鈴木はドラフト2位指名を受けて2013年に入団。プロキャリアは前田と同じく背番号「51」でスタートしている。

 2018年には30本塁打を記録し、日本シリーズでも1試合2本塁打を放つなどの活躍を見せたことで2019年から晴れて「1」を着けた鈴木は、その年に首位打者と最高出塁率の2タイトルを獲得。同年にはWBSCプレミア12の代表メンバーにも招集され、8試合で3本塁打、打率.444と、こちらでも活躍。昨季まで5年連続で打率3割超え25本塁打を果たしており、今季も前半戦で打率.306、15本塁打と好調だ。

 鈴木誠也の背番号「1」には、前田智徳を超える活躍が期待されている。今、着々とその道を歩んでいる鈴木の姿に、カープファンは熱い視線を注ぎ続けている。白石勝巳から始まった背番号「1」の歴史は、鈴木によってどう塗り替えられるのだろうか。

【背番号『1』を背負った主なカープ選手】
白石勝巳(内野手/1950年-1953年)
古葉毅〈竹識〉(内野手/1959年-1969年)
大下剛史(内野手/1975年-1978年)
山崎隆造(外野手/1983年-1993年)
前田智徳(外野手/1994年-2013年)
鈴木誠也(外野手/2019年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。