◆スカウトとの出会い、逆指名

 法政大への入学当初は周囲に対する対抗心もありましたが、先輩も含めた周囲のレベルの高さに面食らってしまったのが正直なところです。特に打撃にはほとんど自信を持てませんでした。

 当時、守備と走塁はある程度評価してもらっていたこともあり、代走要員や守備要員としては試合出場していました。ですが、それではダメだと感じていましたし、何より山中監督から「外野手は打たないと試合で使わないからな」と言われたことをきっかけに肉体改造に取り組むことを決意しました。

 とにかく筋力トレーニングを続けました。1日6~8食摂ることもざらでしたし、高カロリーな菓子パンの中にプロテインを混ぜて食べたりもしていました。また、当時筋トレや、打撃フォームの改造には法政大の先輩である根令雄次さんにお世話になりました。

 根令さんは、法政大に入学する前に、単身3Aリーグに挑戦するなど、さまざまな経験をされていた方で、私にとっては打力向上のきっかけとなった人物です。

 トレーニングの成果もあり、体重は75キロから93キロまで増量することができました。その甲斐あって3年春にはリーグ戦で三冠王を獲得することができ、日米大学野球選手権大会のメンバーにも選出されました。

 ただ目標としていたシドニー五輪はプロアマ混合チームで編成されるということもあり、選出は難しいと考えていました。ですが、五輪前に行なわれるプレ五輪で活躍できたこともあり、日本代表メンバーに選んでいただきました。

 大学生という立場ながらプロ野球選手と一緒に国を背負って戦うことができたのは貴重な経験でした。短期決戦でとにかく勝たなければならない、さらに日本はメダルを期待されている状況ということで、それまで感じたことのないプレッシャーを感じました。

 そしてシドニー五輪が終われば、いよいよドラフト会議の季節です。私はカープを逆指名させていただき、ドラフト2巡目で入団することになりました。「なぜカープを逆指名したのか?」という点については、いろいろな理由があります。

 まず山中監督から「廣瀬はカープに行きなさい」と言われたことです。山中監督は当時カープの監督を務めていた山本浩二さんと大学時代に一緒にプレーもしていましたし、球団本部長には阿南準郎さんもおり、法政大出身の方が多く在籍されていたことも影響していたと思います。

 そして何より私の中で大きかったのは、スカウトの苑田聡彦さん(現スカウト統括部長)の存在です。苑田さんは私の担当スカウトとして、大学時代の私をずっとマークしてくれていました。

 驚いたのは私の右太ももが肉離れしている状況でも球場に来ていたこと。試合に出ないことが分かっているのに、それでも私がいる場所に顔を出してくれたことから、苑田さんの強い想いが伝わってくるような気がしました。

 上辺だけではなく、私という人間全体を評価していてくれている気もしましたし、そういう人がいる球団にいきたい、そういう人に対して恩返しをしたい、熱意に答えたいという思いが私の中で芽生え、カープを逆指名することに決めたのです。

【2回目につづく】

廣瀬 純/ひろせ じゅん
1979年3月29日生、大分県出身。2000年に法政大から逆指名ドラフト2位で、カープに入団。ルーキーイヤーから80試合に出場するなど、強打の外野手として活躍。その後低迷した時期を過ごしたが、2010年には強肩強打を武器に135試合に出場して、打率.300、ゴールデン・グラブ賞を受賞するなど低迷期のカープを支え2016年に現役を引退。現在はカープの二軍外野守備・走塁コーチとしてカープを支える。

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