西川の心を動かした恩師
センスを確信するがゆえに、チームに獲得を進言した。進化を確信するがゆえに、打撃の改良を提案した。
現在、カープ打線の鍵を握る打者にまで成長した西川龍馬の恩師である稲場勇樹は社会人野球の世界で荒波にもまれてきた。
選手時代は駒澤大の内野手として日本一にも輝いている。95年、たくぎんに入社したものの2年目に休部、北海道拓殖銀行そのものも98年に経営破綻している。その後、王子製紙苫小牧に移籍したが、00年の都市対抗野球を最後に、王子製紙春日井(現・王子)にチームは統合されている。稲場は、ここで1年間だけプレーし、ユニフォームを脱いだ。以降、王子野球部のスタッフとしてチームを支えていた。
敦賀気比高時代の西川龍馬に出会ったのは、稲場が副部長の時代だった。
「セレクションも含めて彼を見て、スイングの軌道やバットの出し方など、高校生のレベルではかなり高いところにあると感じました。プロ野球、もしくは、社会人野球でも長く中心選手としてやれる素材だと思いました。『この選手は絶対に獲った方がいい』、そう推薦したことは覚えています」
13年、王子に入社した西川は、早い段階からポジションをつかんだ。ただ、打順は下位を打つことが多かった。当然、稲場は、『もっとやれる選手だ』という思いで見つめていた。